死出の旅路の旅装束

葬儀というのは不意に発生して、かつ、そうそう慣れるものでもないため、遺族はわけがわからないうちに全てが進行していくものです。
中には「一体どういう意味があるんだろう」と疑問に思いつつも、わからないまま流している儀礼というものも多いでしょう。
その最たるものとして、「死装束」の意味が有ります。
日本における死装束は主に、仏教の影響で形成されており、基本的に「死出の旅に出る旅装束」という考え方で構成されているものに、仏教説話や教典にあやかったものが混ざっているような形になっています。
ですので、死後即座に極楽往生すると説く浄土真宗では、死装束というものを着せないのが普通など、仏式でも結構違いがあります。
まず、死者の体に着せるのが「経帷子」です。
これは麻や木綿で作られたシンプルな単衣で、白地に経文や真言、題目が書いてあるのを特徴とします。
意味合いとしては、ありがたい仏経を肌身離さずいることで、重罪を滅し、死出の旅路を安らかにするというものです。
縫い糸は結び目を作らないというルールが有りますが、おそらくは「留まらせないため」の意味でしょう。
次に額の三角ですが、これは「天冠」「額布」などと呼びます。
これにはいろいろな意味が考えられており、閻魔大王にには冠をした正装で遭うべきといった説や、現世での身分を示している、悪霊のたたりを避けるといった説も存在しています。
観音菩薩の頭上の冠を模したとの説もあり、実のところはっきりした意味は謎のものだったりします。
続いては「木杖」「脚絆」「手甲」「草履」といった死装束ですが、これは先に述べた「死出の旅路の旅装束」と考えればわかりやすいでしょう。
依教にもよりますが、死出の旅路は七々日に至るまで山あり谷あり川ありの、なかなか険難な道であるため、こうした旅装束が大事だとの認識に至ったのでしょう。
先にも述べましたが、浄土真宗では西方浄土に即座に極楽往生すると説きますので、この旅路はないわけです。

三途の川の渡し賃

最後が、「頭陀袋」と「六文銭」です。
頭陀袋は、元々インドで出家僧が托鉢行行なう際に携帯した袋のことを指しており、死出の旅路は仏教修行者として歩むのだという意識が現れています。
とは言え、多分死出の旅路の途中で托鉢する場面は無いので、実際は六文銭入れになっていることが多いようです。
六文銭は、前回も解説しましたが、三途の川の渡し賃となります。
昔は本当の銅銭を入れていたこともありますが、現在は火葬場の負担も考えて、紙に印刷した「六文紙幣」になっていることも多いようです。